また君か。そう言って、目先の主君は溜息を吐き嘯く。
叱られた子犬の様に丸まった少女は、唇を噛み締め惨憺に俯いた。
「何でこの程度の事が出来ないんだ」
一息置き、主君は続ける。


「お兄さんを見習いなさい」

――その言葉が、彼女にとって何よりも苦痛だった。


静寂に落涙する少女を、庇う様にひとりの男が立ち憚る。
「許してやってくれねえか」
左手で、男は涙する彼女の肩に優艶に手を置いた。
「こいつだって頑張ってんだ。…第一、幾ら雑魚でもあんな数のハンターを独りで相手するのは無理だ」
主君を見据える瞳が輝る。
同じ茶髪を靡かせる男の背面を、少女は涙目に見つめていた。
黙考した主君は やがて観念した様に虚空を仰ぎ、兄妹を見据える。

「わかった。今日はもう下がりなさい」
「…失礼しました」
会釈し、男は妹の腕を掴んだ。部屋の外まで彼女を引きずり出し、扉を閉めてから、兄は深い溜息を吐く。

「お小言がうっせーんだよな」
扉の奥に向け悪態を着いた兄は、俯く妹の頭を優しく愛撫した。

「気にすんな。あの人の唯の意地悪だ」
「…ん」
頷いた少女――エリスは、微笑む兄に同様に笑う。
その笑顔を見、安堵した男はエリスの手を引き、共に廊下を歩き出した。

――エトラ・クレビスとエリス・クレビスは、血のつながった兄妹だった。
兄であるエトラは成人して間もなく一目惚れしたというバンパイアハンターの女を骨まで喰らい、完全体へと成長した。
その力は周りも圧倒させる莫大な物で、バンパイアを統べる王もその力を見込み、兄をバンパイア最強と謳った。

信頼厚く、強く、聡明な兄。
その真逆に、妹である自分は最弱のバンパイアと罵られる程、駄目な奴だった。
主君の任務もまともに熟せず、愛する人間も見つけれず、未完全な体で兄の脛囓りで生きる日々。


優秀な兄を憎んだ事も合った。
だけどそれ以上に、非力な自分が憎くて仕方なかった。



「エトラ!」

不意に甲高い声が耳を刺激し、兄妹は振り返った。
駆け寄って来る薄桃髪の女性は、兄の腕に飛び込み艶麗に笑う。
エリスから手を離し、彼女を抱き寄せたエトラは妹に苦笑した。
「会わせたこと無かったな」
男の手が彼女の肩を叩き、彼女は兄の胸板から顔を上げる。
気品の有る優形の顔で、華奢な体付きをした、とても綺麗な人だった。
刹那見惚れたエリスに、彼女は手入れされた長い髪を揺らし、会釈する。
「こいつはレミ。俺を完全体にした女だ」
「宜しくお願いします」
兄の腕の中で、彼女は優艶に笑った。


――バンパイアは骨まで喰らった人間を、バンパイアとして生誕させる事が出来る。
生誕させた元人間を部下にするバンパイアは少なくない。兄も又、彼女を美食しバンパイアとして再誕させたのだろう。
兄が一目惚れしたという彼女は、成る程。目を奪われる美しさだった。

「王様が、新しい任務を依頼したいって。エトラの事探してたよ」
「今呼ばれたばっかりじゃねーか。一緒に言えよ」
悪態を吐いた男は、溜息と同時にエリスを見る。
「悪い。先帰っててくんねーか」
「…うん」
エリスが首肯したのを見、男は彼女と手を繋ぎ来た道を帰って行った。

離れたところで唇を重ね、幸せそうに笑う兄を、エリスは見届ける。
"最強"という称号を持つ男に相応しい女と、相応した実力を持つ兄。


叶う筈が無い。近付ける筈もない。
優秀な兄を呪う自分が、憎い。



唇を噛み締め、エリスは兄と逆方向に歩き出した。